世界中のバッウパッカークロスロード。驚愕のカオスと屋台文化のエリア カオサンロード
2014年12月19日(金)
初めてバンコクのカオサンエリアにやってきた。
インターネット上での話や、数々の噂が飛び交うカオサンストリート、
僕はそのエリアが、自分自身に対して
どのような感情を僕にもたらしてくれるのか探りたかった。
一言でいくつか表現すると
カオス
混沌
クレイジー
屋台
という言葉が僕の中からは出てきた。
ほぼ24時間眠らないエリアであり、お祭り騒ぎのエリアといっても
過言ではない。
旅の初日はカオサンとなぜが決めていた。
特に理由は何もない。
旅人が行き交うエリアを体験したかったからだ。
しかし、僕の経験としてはその期待と裏腹に
初日にカオサンロードを目の前にして早々、はっきり言って
なんか疲れた。。。ここにいていいの?
それは本当に空港から電車を乗り継いでカオサンエリアに着いて、
そのストリートを目の前にした時に早くも
なんだここは?と。
ここに何を求めにきたんだっけ?と
カオサンのでゲストハウス(1泊約2000円)を、
日本から4泊すでに押さえていたが
4泊も嫌だな~って感情が正直に出てきた。
やれやれ、この先の旅大丈夫かな。
行きの飛行機にGoProバッテリー3つ忘れてきた事実も
この疲れに影響しているのかもしれない。
あと2ヶ月半、今日が始まったばかりなのに。
そう思いながら、ゲストハウスに荷物を置き
夜カオサンロードに繰り出した。
ん?!!
ただ、うまそうな屋台が沢山ある!
だいたい30B~40B(120円~160円)で
タイの焼そば/パッタイや、その他おいしいそうな食べ物が買える。
なかなかいい顔してるおばちゃんが、
汗たらしながら作ってる!
食べる!
マジで美味い!!
カオサンでの楽しみの一つになりそうだ。
屋台で飯を食べ、そしてGoProバッテリーを探しに
大きいデパートに来てみる。ここならあるだろうと宿のスタッフが
いってたが
ない・・・・・。
やべーな。
バッテリー1つしかないんですけど。
GoProバッテリーの持ち時間、物凄く悪いから
残り1個なんて、かなりヤバくなる。
しかも、この先
最後の国スイス以外ではGoProバッテリーなどありそうにない。
やべえ、バンコクいるうちにGoProバッテリーゲットしないと・・・。
そうしてこの初日が終わった。
旅プロジェクトスタート!
今日から始まりました。
世界を旅する大いなる価値
を伝えるメディアを作るというビジョンをもってやっていこうと思います。
初日の今日カオサンロードに到着してから、その噂以上のカオスっぷりになかなかの衝撃を受け、さらに、このプロジェクトの肝であるGoProバッテリーを初日に3つ飛行機に忘れてきてしまうという大失態もしてしまい、「これが旅だな」なんて自分を慰めつつ今タイ時間22:30一度ゲストハウスに戻り、このブログを書いているわけです。
これからは旅の写真もおりまぜつつ、できる限りブログも更新していこうとおもいます。
それではトゥーーース!
未来は「今」の連続でしかない。わからない未来を楽しむ。
僕はサラリーマンを辞めて、真の意味で未来がみえなくわからないものになった。
これは否定的意見でもなく肯定的意見でもなく、「真に」そうなったと感じたのだ。
会社員時代には、未来はなんとなく見えた。それは来年はこれくらい給料が上がって、たぶんボーナスもこれくらいで、こんな仕事をやりながら、休みの日はこんなこともやってみて・・・と具合にだ。
それが辞めてみたら、全てがなくなった。もはや曜日感覚すらほとんどなくなった。 今日が何曜日とかも全く関係なくなった。それより「今日できることは何か?今日会う人は誰か?今日をどんな一日にするか?」この感覚がより強いものになった。そして、この「見えない未来、わからない未来」というものが物凄く楽しい感覚にもなってきている。
そしたら「本当に生きることを実感する人生」というものになってきていると感じる。僕は会社員生活を12年間送ってきた中で、今まさに意識の変革がおきていると感じるのは
「常識」と呼ばれることすらに疑問を感じ、常に自分の正しいを思う方向に進む。
この意識の変革は自分の中で非常に大きい。僕たちは知らぬ間に社会の誰が作ったかわからない「枠組み」の中にいる。それに対してあまり「良い」とも「悪い」とも感じないように生きるのが逆に楽だったりもする。ただ本当に生きる人生になると、常に自分と向き合い「自分の良心の中でハートの中で正しいかどうか」という考えになる。
ここで僕の持論で思ったことは
世界の中で人としての道徳を守り、さらにそれを良い形で表現できれば、あとは自分好きなことをやっていっていいのだ。ということ。
そして、それから自分と向き合い本当に好きなことをやっていると、「未来」という心配すらなくなる。逆に良い意味で「未来」を考えなくなる。「今」ということに集中する。それが未来になるということがわかってくる。
僕は今、ほとんど未来を考えることがなくなった。逆にわからない未来が楽しくもなってきた。
10年先の未来に意識を向けるのではなく、「今」をフューチヤーする。それが未来につながるからだ。
This is "YOUR JOURNEY"
It's "YOUR LIFE"
現世は単なる旅路である。生涯は永遠のその一瞬である。
本日、来週からの世界を旅する前に一度、僕の故郷青森八戸に帰ってきた。
超寒いっす。氷点下1度。
久々にこの肌に突き刺さる東北特有の寒さを感じた。
今日のタイトルとこの写真は、僕の実家の何でもない粗末な壁に掲げてあるモノ。親父に聞くとどうやら、三年前に亡くなったお爺ちゃんが、書いたものらしい。
ただインターネットで調べると、どうやら外国のキリスト教のシスターか誰かが言った言葉らしい。
そもそもうちの家系は、なんの宗教にも属していなく宗教に興味もなくキリスト教なんて全く無縁のモノの言葉が《なぜ?》と思ったが、お爺ちゃんが亡くなった今それはわからない。
ただこの言葉を見て、心で素直にわかる気がする。僕は誤解を恐れずに言うと、宗教がこの世界から無くなったほうが良いと思うほうなのだが、こういうモノを見ると宗教ではなく、ただこの言葉のみに深い共感を覚えた。
僕らはみんな旅人なんだなと。
人生や、またそれらの生まれ変わりがあるとしたら、壮大な旅路を歩く旅人なんだなと。
This is ''YOUR JOURNEY''
It's ''YOUR LIFE''
目に見えない価値を感じる生き方
価値とは「人間の肉体的、精神的欲求を満たす性質」だと辞書には載っている。僕たちの世界では、どうしても物質的な「モノ」に価値がいく。目に見えない、触ることのできない、匂いのない価値というもの沢山存在する。
これは僕がエイベックスにいたからこそ判り得ることができ、実は今僕が自分でやろうとしていくことも「目に見えない価値」を創っていこうというものだ。前職の内容でいうと「音楽」とはまさに見えない・触れない・匂いもないモノ。それらに多くの人が感動を受け、沢山の勇気や希望を音楽に投影させる。
これらの価値とは、つまりは頭で感じるものではない。目に見えない価値とは、ココロで感じるものだ。この目に見えない価値を感じる生き方を意識していくようになると、本当に人生が豊かになる。
モノばかり追いかけモノが多くなっても、モノは人生を豊かにする手段にすぎない。手段とは「目的を達成するために必要な方法」である。僕たちの目的は、この一回限りの人生を「いかに豊かに充実させるか」という目的であろう。この目的がはっきり認識されるのであれば、自分を豊かにする「価値」を一つでも多く知り・感じ・味わうことが大切になってきそうだ。
目に見える価値は、ほとんどが手段に過ぎない。
目に見えない価値は、その目的に近い場合が多い。
さて、もうまさに「冬」って季節になったね。今日は東京も非常に寒かった。この2014年最後の師走の月を、食い残らずはしりぬけてやろーじゃないの。
明日やろうは馬鹿野郎。
いつかやろうは大馬鹿野郎。
生きている、今日やれることやり尽くして、やったります。
This is "YOUR JOURNEY"
It's "YOUR LIFE"
今自分のやれることを全てやりきったなら、後は天に任せるのみ
11月から始まった僕の創業計画も、今中盤〜後半を迎えている。本日、日本政策金融公庫に「新創業資金」の融資申込を行った。自己資金300万円、申込金額850万円。さてこれがどうなることやら。。。。申込を終わった今、これについてはもはや天のみが知るだろう。いや、天であろうと知り得ないかもしれない。
10月末にエイベックスを辞め、己のやりたい事業と己を喜ばせる人生をいきるという道を選んだ今、辞めてから1ヶ月ちょい何の後悔もなくやれている。まあ強いて言うなればギリギリになって火事場のクソ力が出るタイプの性格をもっと余裕を持って進めることができるようになることが大事かな。
この1ヶ月、事業計画作成やその根本であるコンセプト立案・WEBサイト作成・オリジナル楽曲の手配など中々やってて面白いものばかりだった。
都市生活を送るビジネスマンに、世界への旅と冒険を通して「勇気・挑戦・希望」の 芽生えと、その人生を探求する男のWEBメディア
という自分としても人生をかけてやってやろうという、このコンセプトを胸に進んでいくばかりだ。
この一ヶ月会う人などに「エイベックス辞めて後悔ないの?」とか聞かれる時がある。全くない。ただあの環境はあの仕事は素晴らしかったなあと「ふと」思う時はある。
僕はリスクを背負ってでも、自分のやりたいことをやってみる人生
というほうに賭けた。賭けたというより、マジそうしたかったんだ。もしやっていなかったら50歳になっても「あーーあれやりたかったなー」と後悔の念が僕の場合必ず出てくるだろう。
もう一度繰り返しても良いと思える人生
このためには成功・失敗という概念がないように僕は感じる。それはもはや「やるかやらないか」のどちらかがこの問いの答えになるのだろう。
そう考えるのならば今自分のやれることを全てやりきったなら、後は俺のしったこっちゃない。後は天に任せよう。
このような境地になってきてしまうのだ。僕はね。
今月12月19日〜このWEBメディア作成のために僕は海外へ旅にでる。仕事というものを、自分のやりたい「世界を旅する」を合致させる。このようになると仕事とプライベートという言葉も僕の中ではなくなってくる。
すなわち
これが僕の人生なんだと!
This is "YOUR JOURNEY"
It's "YOUR LIFE"
偉大な何かに生かされ、全ての人に助けられている。
たまに「ふと」考える。生きるとは人生とはどういう事なのかを。
こう考えても、結局正解はないし、自分で自分だけの回答を出すしかない。こんなの人に聞いてもわからないし、それぞれ違う回答を持っているだろう。
ただこのように感じる部分はある。
自分が生きているということは、偉大な何かがそうさせてくれるんだろう。
自分がいまこうして生きていられるのも、全ての人に助けられているんだろう。
偉大な何かはわからない。どんなものなのかもわからない。しかし、ただただこれを感じずにはいられなくなる場合がある。大きい目で世界を見ると「いまこうしてブログを書いていいる」間にも、地球上の多くの人が何らかの形で亡くなっているだろう。天寿を全うした方・交通事故・病気などいろいろあるだろう。ただ自分は幸いなことに元気で生きていられる。「死」という観念はあるがその先は全くわからないし、生きている「今」を大切に考えるのが賢明だろう。
そう考えると、未来への取り越し苦労は無くしたほうがより賢明だという思いにいきつく。
見えない・わからない未来に対して不安なことを考えるのではなく、「今」やれることをやるしかねー!って感じで。究極もしかしたら明日死ぬかもしれない、何が起こるかわからないこの世界を一つ一つ味わいながら生きることが最善なのかなと思う。
今、私が事業を起こすことをやっている中、生きることへの味わいを注意深く自分自身で観察して感じたことは、
本当に全ての人に助けられているんだな。もう「ありがとう」の他感謝の言葉が見つからない。
ってこと。自分一人の力なんてたいしたことはなく、周りの助けが重要だ!なんてありきたりな話ではない。今生きている全てを味わおうと見渡すと、スーパーで自分が買おうとする「お米」をみても、タクシーで家まで送ってくれる運転手も、全ては自分を助けてくれる「人たち」だと気づく。お金を払ってるから当たり前じゃない。今生きているこのタイミングに、「自分が必要なお米を作ってくれる人」「タイミングよく自分の前に来てくれたタクシー運転手」は、全て自分の助けるための存在だと認識する。
お金を払えは神様、という考えは僕自身大嫌いで、お金が介在しようとしなかろうと、お互いイーブンで対等・平等でありリスペクトしあうべきと考える。お金を払ったから媚を買う、お金を貰ったから媚を売る、なんてのは全然生きてて気持ちよくないと感じる。
人生を「今」に集中して生きると、偉大な何かに生かされ、全ての人に助けられていると感じてしまう今日この頃なのです。
真面目に書いてしまったが、いよいよ今月12月19日から世界をめぐる旅をスタートさせます!!もうやるっきゃないでしょ、俺!と自分自身でテンション上げながら「今」やれることを存分に味わっていきていこうじゃないの!
This is "YOUR JOURNEY"
It's "YOUR LIFE"